空が青かった。青という色は、可視光の中では、波長が短く、力が強い。そして昼間は、通らなければならない空気や微粒子の長さが比較的短い。波長が短い光の方が、散乱の影響を大きく受けるが、昼間であれば、散乱は少なく、結果として、強い光である青が目に付くのである。ま、そんなことはどうでもいいのだが。そんな青い空を、諒は壁際の席に座りながら見詰めていた。だが、すぐに虚しくなってやめてしまう。あれから、何日が経ったのか、正確には把握していなかった。考える気力さえ起きない、というのが本音である。力無くうなだれると、机に顔を伏せる。 あの後、ミューズコーポレーションは大変なことになっていた。 と、後頭部に何か乗った感触があった。両手を枕にしているので、それを取って、確かめることは出来ない。 「おい、禊。頭に何、乗せた?」 「あれ? なんで私って分かったの?」 諒は今、顔を伏せている。頭を動かすことが出来ないので、足元ぐらいしか見えないはずなのだが。 「ふっ、俺を甘く見るなよ。足と靴下を見れば、この学年のどの女の子かぐらいはすぐに――って、何か微妙に熱いぞ。願わくば、すぐにとって欲しいんだが」 「ああ。言い忘れてたけど、もう開けてあるから。下手に動くとこぼれるよ」 自身は、無添加のりんごジュースを飲んでいる。どうやら、この状況を楽しんでいるようだ。 「ぬう。あごの下から手を出そうとすれば、バランスを崩し、かといってこのまま耐え切れるはずも無く。禊ちゃん! お願い! 降ろして!」 「はいはい」 あっさりと、缶を取り、諒の眼前においた。 「ずいぶんとひどいことするなぁ。新手の拷問か?」 「こんな中途半端な拷問があるもんですか」 そう言うと、リンゴジュースを飲み干した。 「飲まないの? せっかく買ってきてあげたのに」 「いや。腹も減ってないし、喉も渇いてないから」 「そう」 禊は力無く言葉を返すと、後ろの掲示板を見遣った。何だか、視線を合わせるのが辛い、といった感じだ。 「どう? 少しは私の気持ち分かった?」 「ああ」 多少の間を開けて、返答する。 「男に産まれると、どうも胸の無い女のコンプレックスってのは理解し難いんだが、何となく分かった気が」 「あんたね」 呆れたのか、顔を引き攣らせた。 「ねぇ、諒。私、思ったんだけど、彼女、止めて欲しかったんじゃないかな? なんとなくそう思うんだけど」 「誰にだよ? 俺達にか? 「それは分からないけど、そんな気がする。誰でもいいから、自分の存在を認めて欲しかった。造られた人としてではなく、一人の人間として。それがたまたま諒だったんじゃないかなって、少し思う」 「……」 諒には、未だに何も分からなかった。彼女は何をしたかったのだろう。もし、普通の少女として産まれていたら、どのような人生を送ったのだろう。あんな妹がいても良かったかもしれない。最近では、そんなことを思うようにもなっていた。 「あぁ! 禊と三村君、お茶してる! やっぱりこの二人って噂通り付き合ってる!?」 大川 「水月。あんた小学生?」 冷ややかな視線でそう言い放つ禊。それに気圧されたのか、水月は一歩、退いた感じになる。 「何だ、何だ。て、おぉ! 大川、これはスクープだぞ! 早速校内新聞に載せるための写真を撮らなくては!」 焚き付けてくる奴がいた。桜井雄人である。この前の恨みなのか、何なのかは知らないが、二人の関係を知っているくせに、敢えて煽る。周囲には訳も分からずたくさんの人が集まり、それが更に人を呼ぶ。 「桜井。お前、いい扇動者になりそうで危険だからな。今のうちに潰しとくことにしたよ」 「え、いや、。三村君。いやだなぁ。はは、俺にそんな才能無いよ」 真剣な面持ちの諒を見たためか、今度は桜井が退いてしまう。だが諒は、彼の後ろに回りこむと、首に右腕を巻きつけた。落ちないよう、力はほとんど入れていないが、桜井が派手に暴れるので、ひどいことをしているようにも見える。 「いいぞ、もっとやれ――っていうか、落とせ」 「三村君、今すぐそんなこと、やめなさい!」 群集は、いつの世も無責任である。特に考えの無い野次や怒号が、クラス中に響き渡っていた。 諒は、この状態が結構楽しかった。そして同時に、こんな馬鹿げた楽しさを知らない彼女が、とても悲しい存在に思えた。彼女は、本当に諒の中にいるのであろうか。それを知る術は、今の諒には無い。これから、見つけ出さなくてはならないのである。 西暦二〇一三年一月。この月は、諒と禊にとって、全ての転換点となった。 了
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