邂逅輪廻



「本日、午後六時頃、石廊崎いろうざきの県道沿いで、交通事故が発生しました。大型のトラックがスリップし、崖下に落ちたものです。これにより、運転手宮田みやた祐一ゆういちさん、四十二歳は死亡。トラックの電気系統が焼き切れている点などから、安全対策に問題は無かったか、県警は捜査中です。それでは、次のニュースです――」
 プツッ。テレビを消し、仰向けに倒れこんだ。
「これも、ミューズの奴だろうな」
 一人ごちてみる。一度、壁に張られたお気に入りのアイドルのポスターを見遣るが、意味が無いことに気付き、電灯を見詰める。と、手帳が電子音で呼び付けているのに気付いた。通話機能を立ち上げ、イヤホンを耳にはめる。
「ニュース、見た?」
 禊であった。
「ああ。これもだろうな。あの電磁銃ガンならこれくらいのこと出来るだろう」
「ねえ。私には彼女のやりたいことが見えない。殺されたのは社長プレスを含めて、これで四人目。でも彼らには何の共通点も無い。年齢も性別も出身地も職種もバラバラ。復讐って言ってたけど、なんなの? 彼女をここまでさせるものは」
「知ってりゃ先回りも出来るんだろうけどな。とにかく今は情報が集まるのを待ってか――わりい、水上の奴からメールだ。なんか重要なことかもしんないから、またこっちから連絡すんわ」
「ん、あ、いや、私のところにも来てる。切らないで待ってて」
「ん、分かった」
 メールを開きながら、適当に答える。
「まだ見付かってないって。只の定時連絡みたい」
「ああ、そうみたいだな」
 モニターを見ながら、そう返した。そこには『目的のものを見つけました。至急我が家まで着て下さい』と。


 水上の家は、諒のマンションから歩いて五分程と、かなり近いところにある。諒は黒の上下にウィンドブレーカーを羽織って、家を飛び出した。ウィンドブレーカーを着た理由は簡単である。禊とは違い、戦闘服で街中を歩く根性が無いのだ。あの日、禊は東京本社の近くで着替えてから、乗り込んだらしい。ほんの数分のこととはいえ、あの格好はコスプレか、変態にしか見えない。
「来て頂けましたか」
 水上は、玄関先で立ち尽くしていた。着ているものは、いつもの制服ではなく、青のジーンズに、白スポーツシャツとノースリーブのセーターである。
「ああ」
 とりあえずは、息の乱れを止めることが先決である。大きく息を吸い、吐いた。
「で、見付けた、ってのは本当か?」
「ええ。厳密には範囲の絞り込みに成功したと言うのが正しいのですが。こちらを見てもらえますか?」
 そう言うと、手帳を広げ、モニターを操作する。するとそこには、南関東から東海道に掛けて――即ち、東京、神奈川、千葉、静岡周辺が映し出された。その中に、東京に一つ。神奈川に二つ。静岡に一つ、赤い点が付いている。東京の点は、ミューズコーポレーション本社の在る場所。そして静岡のそれは石廊崎の先に付いている。
「これは、彼女が?」
「そうです。ミューズが狩った人の場所を差し示してみました。これに、時間を含めて表示するとこうなります」
 その四点に、青い色で日付と時間の表示を加える。
「彼女は本社から数キロに地点にヘリを乗り捨てていました。その後の移動手段は不明ですが、移動速度はほぼ一定です。一日に換算しておよそ四十キロ。東海道沿いに進んでいます。そこから弾き出される明日の移動予測地点は――」
「この近くだってのか?」
「ええ。それと殺された四人と私の共通項、分かりますか?」
「そりゃ、俺に聞いてるのか?」
「ええ、おそらくは分かっているのでしょう?」
「彼女の染色体の本来の持ち主、言うなれば、御先祖様達、か?」
「やはり、分かっていましたか」
 呟き、俯いた。
「何であいつはこんなことするんだと思う?」
「分かりません。ですがいずれにせよ次の狙いは、私かこの近所に住む女性に絞れます。守りを固めた方がいいでしょう。その女性のデータはこちらに入っていますので、そちらはお願いします」
 言って、旧型のフロッピーを手渡してくる。それを、ウィンドブレーカーの胸ポケットに収めた。
「なあ。なんで禊には伝えなかったんだ? 人手は多い方がいいんじゃねえか?」
 素直な疑問ではある。唯、その理由は、何となく分かっていたが。
「彼女は何も知らないのでしょう? あなたは、何も伝えないことを選択した。それでしたら、この現場は危険過ぎます。いつばれるとも限りません」
「必ずしも、そういうわけではないんだが。ま、たしかにこの真実は重過ぎる。知らない方がいいだろう」
 言って、諒も俯いた。
「それはそうと、電磁銃ガンの修理が終わりました。ごたついて、日延べしましたが、調整も済ませてあります」
 そう言って、藍青色の棒を手渡してくる。それを握った瞬間、懐かしさで心が和んでいる自分に気付き、苦笑した。
「それでは、私はこれで。呼び付けておいてなんですが、まだ処理しなければならないことがあります。帰り道は気を付けてください」
「ちょっと待て。お前の方の警護はどうするんだ。お前も、彼女の記憶の一人だろ?」
「大丈夫でしょう。彼女は私を最後に回すと言いました。超音波装置も直してあります。それに私には覚悟があります」
「そこんところは、はっきりしときたいんだが、簡単に死のうとするなよ。死ぬってのは、全てを無に帰す、って程ではないにせよ、一番簡単な選択肢、だってのは俺の持論でな。人間に限らず、全ての生命種は無数の同族の死によって成り立ってる。生物学の基本中の基本だ。他人の死、ってのは抱え込まなければならない現実。だから俺はお前を殺さなかった」
「その話は神薙君にはしたのですか?」
「いや俺はどうも女には厳しくしきれなくてな。言えなかった」
 頭を掻きながら、溜め息を吐く。
「そんじゃ、ま。適当な科学を狩る者サイエンス・ハンターでも見繕って、護衛させてくれ。俺はその女性に専念するわ。まぁ、難点はどうやって不審人物に見られないようにするかだが、明日までに考えとくか」
 まるで、独り言のように呟く。そして、片手だけ上げてこの場から立ち去ろうとした。と、十字路の右から、人が走りこんできた。禊であった。呆気に取られている二人を気にも留めず、走り寄ってくる。
「はぁ、はぁ」
 両膝に手を当てながら、肩で息をする。着ているものは制服や白装束ではなく、薄手の赤タートルネックにクリーム色のキュロット。如何にも、慌てて出てきた、といった感じが見て取れる。
「はぁ、と。さて、とりあえず水上先輩。これはどういうことか、説明していただけますよね?」
「いや、その前に、何でお前がここに?」
「諒の口調が最後だけ少し違ったからメールを見て、何かあったんだと思って。で、ちょっと通信記録を覗いてみたの。あぁ、疲れた」
 禊の家からここまではおよそ四キロ。彼女はそこから、十二、三分ほどで走りきってきたのだ。『恐ろしい女だ……』色々な意味で、しみじみそう思った。
「連絡しなかった理由は、大したことではありませんよ。唯、今回の件については、あなたに関わらせたくない。そう思っただけのことです」
「何でよ!?」
「では単刀直入に聞きます。あなたにミューズを倒せますか? 076の件もあります。それにあなたは電磁銃使いガンマスターは苦手でしょう? 三村君との実力差は明らかであるのに、訓練成績は六対四で負け越しています。それより強いと思われるミューズに勝てるとは思いません」
「だったらいつも通り、諒と組んで戦えばいいだけのことでしょ! あたしを締め出す理由にはならないわ!」
 『嘘が下手だねー』言い訳慣れしている諒は、ふとそんなこと思った。
「禊には、ちょっと別の仕事をしてもらおうと思っててな。お前の性格からして、ミューズの居場所を知らせたら、そっちに飛んでいく気がして、それで知らせなかったんだろ?」
 視線を水上に移し、同意を求める。水上も、顔色は変えずに返答した。
「めちゃくちゃうそ臭いけど、ま、信じてあげるわ。で、その仕事って?」
「水上の護衛。明日にもミューズがやってくる可能性がある。一日中張っててくれ」
「諒はどうするの? 私をこっちに張り付けてる隙に、ミューズとやり合う気?」
「全く信じてねえじゃねえか」
 多少呆れ、顔が引き攣る。
「男同士がこそこそ話し合ってることの中身なんか、信じられるわけないでしょ」
「いや、まあ、たしかにそうかも知れんが」
 思わず、納得しかけてしまう。
「分かったよ。明日は一日かけて一緒に張り込みだそれでいいんだろ?」
「私の性格知ってるでしょ? そうでなきゃ、納得しないよ」
 ここに来て、ようやく笑みを見せる。水上も、諦めたのらしく、何も反論しない。
「さて、じゃあ、一旦帰るか。明日は五時、いや、四時起きってことでな」
「は〜い」
 素直な返事が返ってくる。諒は、深々と溜め息を吐くと、家路についた。これから、長い夜が始まるとも知らずに。


「ただいま〜」
 自宅の扉を開け、中へ入る。親には、コンビニに行くと言って出たので、カモフラージュにスナック菓子と清涼飲料水を買ってきている。
「あ、諒? あんた、手帳持ってくの忘れたでしょ? 電話掛かってきてたわよ」
「電話?」
諒に掛かってくる電話はあまり多くない。せいぜい、日に数本といったところか。
「間が悪いな」
 部屋に入り、ベットの上に置いたままの手帳を手に取る。通信記録を立ち上げ、内容を確認する。
「公衆電話から? ちょうど十分前か」
 心当たりはなかった。学校の知り合いであれば、手帳を使うであろうし、科学を狩る者サイエンス・ハンター絡みの知り合いは、全員、何らかの通信手段を持っている。
「ま、只の間違い電話ってこともあるか」
 そう結論付け、シャワーでも浴びようと、部屋を出ようとする。途端,手帳が電子音を鳴らした。発信元は、先程と同じ公衆電話から。恐る恐るイヤホンを引き出し、回線をつなぐ。
「もしもし、三村ですけど」
「お久し振り。あたしが誰だか分かる?」
「ミューズ――」
 その、突然の連絡に、声は小刻みに震えていた。
「あらら。ひょっとして驚いてる? まあ、無理もないかな。普通は、こういう時に連絡しないよね〜」
「何の用だ? まさか『ちょっと声が聞きたくなったの』なんて、乙女ちっくな理由じゃないだろ」
「まあね」
 初めてあった時と変わらない、あっけらかんとした感じであった。
「ねえ、ちょっと会わない? 実はとっても近くまで来てるんだけど」
「今からか?」
「あたしとしては暗いうちの方がありがたいけどね。もちろん、あんたがあたしを襲うような趣味があるんなら、ちょっと困るけど」
「いや、大丈夫だ。どこなら分かる?」
「そうね、駅近くの雑木林なんてどう? 人気無いよ」
「分かった、五分くらいでいく」
「そんじゃね」
 ガチッ、という音を立てて、通話が途切れる。何故、彼女が電話を掛けてきたのかは分からなかった。だが、これが最後のチャンスかもしれない。諒は手帳を胸に収めると、親への言い訳を頭の中で巡らせた。


 雑木林には、本当に人気が無かった。この周辺は、新興の住宅地であるため、電車の本数も一時間に三本と少なく、駅前に繁華街も無い。少し離れたこの場所に、人が集まる理由は無い。もちろん、金の無いカップルがやってくる可能性は拭えないが、この季節に、それほどの根性がある連中はいないようだ。
「来てくれたね」
 彼女は、雑木林の中に立ち尽くしていた。その姿は、つい先程の水上に酷似しており、遺伝子のつながりを一瞬、垣間見たような気がした。
「わりい。急だったもんで、何も手土産無い」
「どういうこと?」
「一応、女の子との待ち合わせなんだから、何か持ってくるのが筋だろ?」
「あぁ! 冗談か!」
ようやく理解したのか、両手でもって相槌を打った。
「たしかにその通りなんだが、間と返しが最悪だな……。さらりと流す禊の方が、まだいい」
「いいよね」
「何がだ?」
よく分からず、反射的に問い返す。
「そういうこと言える人が居る、ってことが」
 そう言うと、ミューズはブナの木の一つに凭れ掛かった。そして、上を向き、何処か遠くを見詰める。
「あたしはガラス管の中で育ったから、そういう存在は居ない。いや、一人だけ居たか。あたしと同じ染色体を持つ、試作ナンバー003。ミューズの名を冠する、もう一人の少女。分かり合えた唯一の存在」
 悲しそうな目のまま、息を吐く。
「でも、研究員のミスで死んだ。その時、あたしは一人になった。世界に幾十億の人が居ようと、あたしは一人。誰一人として、あたし達の悲しみは理解できない。面白いよね。悲しいって漢字心に非ず≠チて書く。感情なのに、心じゃない。まるであたし達のことを言ってるみたい」
 諒には、何も言うことが出来なかった。彼女は、誰にも言えない想いを抱えてきたのだ。諒には計り知れない想いを。
「だから、あたしはあたしの系譜を破壊する。それがあたしという存在を否定する唯一の手段だから」
何かが、諒の中で切れたような気がした。こんなことでしか、自己を表現することが出来ない少女。その存在に、胸が締め付けられるように苦しくなる。
「それで、俺を呼び出した理由は?」
「あたしにとって、この次が一番のヤマだからね。あんたや、神薙、そして水上が居る場所。後に回してもいいんだけど、かなりの手間だから。あんたならあたしを嵌めないと思った。一対一で勝負しよ」
 漆黒の電磁銃ガンをちらつかせながら、そう持ち掛けてくる。社長プレスにも扱えない、電磁銃ガンの究極形の一つだ。
「分かった。勝って、君を拘束する。それが科学を狩る者サイエンス・ハンターとしての、最後のけじめだ」
 目を瞑り、小さく息を吸う。精神が練れたところで、袖下から電磁銃ガンを取り出す。ミューズまでの距離はおよそ六メートル。充分、射程範囲内である。
電磁銃ガンマスター同士の戦いは、純粋な早撃ち。電磁弾ブリットの初速は、限りなく音速に近いから、この距離なら、到達するまでおよそ0.02秒。つまり、両者の発射時間が、それ以内の時のみ、相打ちという現象が起きる。でも、あたしは社長プレスに撃たせることさえさせなかった。そんなあたしに勝てるつもり?」
「さぁな」
 偽らざる本音である。一線を退いてかなり経つ社長プレスに、負けるとは思わない。だがそれは、ミューズに勝てる保証でもない。やってみなければ、分からないのである。
「レディース、セット――ファイト!」
 瞬間、ミューズが右手を差し出した。それに合わせるようにして、諒も右腕の筋肉に、命令を送る。パンッ。空気が破裂するような音だけがした。ミューズが勝ったのだ。諒は右手を抑え、その場に蹲る。
「いてえ……」
 右手に走った衝撃は、諒の電磁銃ガンの比ではなかった。下手なスタンガン並である。痛みは右腕を通じて、胸近くまで達していた。
「やっぱ、こんなもんか〜。でもね。これで終わりじゃ面白くないから、治るまで待ってあげる」
「そりゃどうも」
 右手に力を篭め、少しでも早く感覚が戻るように務める。もちろん、実際にはこんなこと、何の意味も無いのだが、気分の問題である。
「なあ、ミューズ。もしここで俺に勝って、お前の系譜を破壊したら。その後はどうするつもりなんだ?」
「さぁ? とりあえずは姉――いや、妹みたいなものね。彼女に報告するわ。その先は考えてない。やってから考えることにする」
「そうか」
 なんだか、ものすごく寂しげに見えた。今さえも、彼女にとっては意味の無いものなのかもしれない。
「さぁて、手の感覚は戻ったぜ。第二ラウンドといくか」
「いいわ」
 二人はボタンを二つ、三つ押し、内圧と帯電率を調整する。特製の内臓電池から、蓄電回路に電気が溜め込まれ、小型のポンプで内圧が高められる。そこに、霧吹きの原理で特殊な溶液を充填させ、電磁弾ブリットに電荷を与えるのだ。これに掛かる時間を、二人は感覚的に理解しており、互いに充分すぎる時間が経ったことも理解していた。
 二人は動かなかった。右腕を垂らし、銃口を下に向けたまま、立ち尽くす。先程勝ったミューズも、顔は緊張していた。諒がこのまま終わるタイプの人間でないことを理解しているのであろう。神経を張り巡らせたまま、じっと諒のことを見詰める。先に動いたのは諒であった。銃口をミューズに向けようとする。それとほぼ同時に、ミューズもまた、右腕を差し出す。途端、諒は電磁銃ガンを放り投げた。上空に向け、回転させながら。ミューズは一瞬、呆気に取られたような表情をするが、構うことなく、ボタンを押す。
 パンッ。破裂音がした。僅かに遅れて、手に衝撃が走る。右の手にではなく左の手に、だ。諒は右手の前に左手を差し出し、保護したのだ。当然、左腕から左半身、特に心臓にも多少の負担が掛かるが、それは覚悟の上である。
「んにゃろう!」
 落ちてきた電磁銃ガンを手に取り、ボタンを押す。聞きなれた、空気の抜ける音と共に、電磁弾ブリットはミューズの右手に直撃した。彼女は手を押え込み、辛そうな表情をする。諒は一気に間合いを詰めると、電磁銃ガンを叩き落とし、左腕を捩り上げた。そしてそのまま、手近な木に押しやる。
「あーあ。やっぱあんたは最も警戒すべき人だったみたいね。こんな無茶、普通しないよ」
「ま、あんま自分のこと普通とは思ってないからな……」
 そう返答し、思わず苦笑してしまう。
「にしても、これってまずい体勢だよね。端から見たら、いたいけな少女に襲い掛かる、怪しげな高校生にしか見えないよね」
「あのな、何の話だよ」
「でもほら。さっきから、こっちのこと覗いてる人が後ろにいるよ」
「へ?」
 そう言われ、首だけ回して、後ろを見遣る。しかし、そこには誰も居なかった。唯、深い闇だけが、木々の間に敷き詰められている。途端、腹部に激痛を感じた。ミューズが、膝蹴りを入れたのだ。諒は痛みに耐えかね、その場に倒れこんだ。
「ごめんね」
 ミューズはそう呟くと、電磁銃ガンを拾い上げ、諒に数発撃ち込んだ。全身が痙攣し、筋肉が命令を聞かない状態に陥る。ミューズは、そんな諒を一度だけ見遣ると、その場から走り去った。その足音を、聞くことしか出来ない諒は、心の中で、何度と無く歯噛みした。


 薄暗い部屋の中で、デスクトップパソコンのモニターだけが明るく輝いていた。その前に座っている水上は、先程から流れるようなブラインドタッチで入力を続けている。と、突然その手を止めた。そして、一度両目を瞑ると、椅子を回転させ、扉の方を向く。
「ミューズですね。入ってきたらどうです?」
「何で分かったの?」
 扉を開け、その姿を見せる。少し息は荒いが、扉を隔てて聞こえるほどの音ではない。
「なんとなく、ですかね。世の中にはテレパシーという、科学では説明の付かない現象があります。血の、厳密には染色体の繋がりが近いほど、その力は強いと言われています。あなたは私の染色体を七本継いでますからね。かなり近い方かもしれませんね」
「そっか〜。じゃあさ、今あたしが考えてること分かる?」
「ええ。私を殺して、あなたもこの場で死ぬ気でしょう? いいですよ、おやりなさい」
 そう言うと、水上は目付きを変えた。あの、全てを諦めた目付きに。
「本当にいいの?」
「ええ。三村君は死ぬなと助言してくれましたが、私の枷はあまりに大きすぎます。076のこともそうです。あなたと、もう一人のあなたも。全ての責が私にあるとは思いませんが、もう構いません。あなたの思うようになさい」
「ありがとう」
 小さく呟くと、電磁銃ガンの電圧を高める。元々は非殺傷が目的の武器ではあるが、この電磁銃ガンであれば、充分に心臓を停止させることが出来る。ミューズは、電圧が最大限マキシマムに達したことを確認すると、水上の左胸に銃口を押し当てた。
「ちょっと待ったぁ!」
 途端、女性の声がした。階段を駆け上がり、その女性は部屋に飛び込んでくる。
「神薙君」
 それは禊であった。彼女は、先程と同じ格好で、右手には白木の木刀を持っている。
「はへ、ほへ。今日は勘が冴えてるわ。家に帰った途端、嫌な予感がしたから、飛び出してきたけど、大当たりね」
「神薙禊、か。また邪魔するの? なんのために?」
 そう問われ、禊は少し目を見開いた。だが、すぐに落ち着きを取り戻す。
「決まってるでしょ。もう私の側で人が死んで欲しくないのよ。戦う理由はそれで充分だわ」
 言いながら、柄に巻きつけている布を解いていく。その中には、一本溝の様な線が走っており、仕込み杖であることが分かる。これが、禊のもう一本の銘刀睦月≠ナある。良質の刀ではあるが、金属置換はされておらず、その重量故に扱いにくい。次善の武器であることは否めない。
「神薙君、もういいんですよ。私はあなたに、いえ。全ての科学を狩る者サイエンス・ハンターに、拭い切れない罪を犯しました。罪は罰でもって償われるべきです」
「死ぬことは罰なんかじゃない! 私だって色々なものを背負ってる! 死ぬことだって何度も考えた! でも、死んで終わりになるなんてことない。全ては錯覚に過ぎないのよ!」
「侍らしからぬ台詞ですね。ですが神薙君、重すぎる枷を持った人が、本当に前に進めるものなのでしょうか? 人は流され易い生き物です。死という安直な結論を選ぶことは必ずしも悪いこととは思えません」
「でも! 私はもう、人が死ぬのを見たくない」
 目を潤ませながら、そう言い放つ。鞘を抜いた刀を持つ手も、少しだけ震えている。
「取り込み中悪いんだけど」
 瞬間、ミューズは銃口を禊に向けた。破裂音と共に、電磁弾ブリットが睦月≠ノ直撃する。木の主成分はセルロースであるから、あまり電気は通さない。しかし帯電率は最大限マキシマムであった。諒の電磁銃ガン程の衝撃はあったはずである。
「止めたい、っていうのと、止める、っていうのは全く別次元の話。少し勉強になったでしょ?」
 純粋無垢な子供の笑顔でそう言った。
「なんかここにいたら、また邪魔されそうね。場所、変えようか」
「いいですよ」
 言って二人は部屋を出ていく。
「ま、待ちなさい!」
 刹那、禊は両脛を射抜かれた。その場に膝をつき、何も出来ない自分が歯がゆく思えたのか、泪を流した。


「綺麗な星空ね。こんなにじっくり見るのって、ひょっとして始めてかな?」
 何も無い、林の草地にミューズは座り込んでいた。水上も側におり、木の一本に凭れている。
「不思議だよね。銀河系には幾千億もの恒星がある。その銀河も幾千億あって。その中のたった一つの恒星、太陽が無ければ、一日だって生き延びられない人間が世の理、全てを知ろうとしてる。そして、生き死にに、こんなにも拘り続けてる。人間ってなんなのかな?」
「分かりません。如何に科学が進み、地球を飛び出すことが容易になっても、生と死の意味と理由さえ分からないんです。おそらくは答の無い命題なのでしょうね、それは」
「命題、か。ねえ。もし神様が居るとして、何のために、人に心を持たせたんだろう? 自分の存在意義や生きる価値に付いて考える、高度な心を。他の動物には無いんでしょ?」
「そういう事例を聞いたことはありませんから、おそらくは、そうですね。神様の実験かも知れませんね」
「実験?」
「ええ、言い換えるのであれば、好奇心です。心を高度に持たせたらどうなるんだろう、よし、あの猿にでもやってみるか、という具合です。もしかしたら、今頃私達を見て満足しているのかも知れませんよ」
「それは、自分や社長プレスのことを言ってるの?」
「かも知れません」
 言って、小さく俯いた。
「ミューズ。死ぬ前に一つだけ聞いておきたいことがあります。あなたは、産まれたことを後悔していますか?」
「してない。人間は――ううん。全ての生命は産まれたくて産まれるわけじゃない。あたしは産まれ方が少し特殊だっただけ。そして、こんな結末しか導けなかっただけ」
「そうですか。少し、気が休まりました。では、そろそろいきますか。延ばし過ぎても仕方ありませんし」
「そうね」
 ミューズは、電磁銃ガンの電圧を高めるため、ボタンに手を掛ける。
 パシュッ。空気が抜けるような音がした。威力を抑え気味の電磁弾ブリットが、ミューズの右手に当たり、腕を震わせる。
「一体どういうコンビなのよ。二度も同じようなタイミングで――」
 ミューズは呆れた様な目付きでそう呟く。諒は電磁銃ガンの射程範囲ギリギリのところから一気に駆け寄ると、足を止め、息の乱れも強引に止めた。
「悪いな。いい感じのところ邪魔して。でもな。父娘心中するってのに止めないほど、人間捨ててる気は無いんでね」
 そんな諒の登場に、水上は疲れたような顔をした。
「三村君。私は自分の意志を曲げるつもりはありません。これはミューズの望みです。私は娘の望みを一つとして聞いてあげられないような、父親になりたくありませんから」
「おぉ! だったら、ミューズを説得しよう。なぁ、ミューズ。生きてるってことは素晴らしいぞ。旨いもんも食えるし、恋も出来る。たしかに君の気持ちを理解できる人はいないかもしれないが、それは実はみんな同じだ。誰も、誰の気持ちも分かりやしない。自分自身の心さえだ。だから、割り切ってしまえば、結構何とかなるもんかもしんないぞ」
 怪しげな、キャッチセールスのような口調である。本気で説得する気があるのか、ないのか、よく分からない。
「はぁ〜。いいよね、君は。何も抱え込んでない振りが出来て。でもね、一つ言わせてもらうなら、それで人が和むかどうかは相手によるよ。ま、あたしなんか、嫌いな方じゃないけどね」
 言って、少しだけ笑みを見せる。ひょっとして脈ありかと、少しだけ驚いた。
「あ〜あ、白けちゃったな。ねえ、一緒に星、見ない? 綺麗だよ」
  ミューズは身体の力を抜くと、その場に寝転がる。誰とも目を合わせないまま、唯、星空を見詰めていた。
「なぁ。こういう時はやっぱ『君の方が綺麗だよ』ってでも言うべきかな?」
「私に聞かないで下さい」
 ひそひそ声で、馬鹿な会話をする二人。それをミューズは不審げに見遣った。
「ねぇ、三村。あんた、なんでそんなに躍起になるの? あたしなんかほとんど面識無いし、やっぱ神薙みたいに近くの人が死ぬのを見たくない訳?」
「それもあるかもしんないが、もっと単純に嫌なんだろうな。自分のせいで死ぬみたいで。結局は自分のためだ」
「そっか。じゃあ、もう一つ。あたしのこと、好きか嫌いでいったらどっち?」
「俺は全世界全ての女の子の味方だ」
 迷わずに即答した。
「ま、それは冗談にしても。嫌いじゃないよな。何か俺に似たところがあって。別に、恋愛感情として好きってわけでもないけどな」
「そう。ねぇ、あんた、あたしを抱え込む気、ある?」
 言って、電磁銃ガンを投げつけた。回転しながら飛んでくるそれを、諒は右手で受け止める。
「それは、どういう意味だ?」
「あんたに殺されるならいいかな、って。自分で命を絶つよりいい気がする」
「だ〜か〜ら〜。生きればいいだろ? ミューズコーポレーションには戻れないだろうが、居場所はいくらだって――」
「それは、無理ね」
「何でだよ?」
「あたしは試作品だから、こうして外で身体を維持できるのは、せいぜいあと一日か二日。ガラス管に戻っても、二週間ってとこでしょうね。でも、もうあんなとこには戻りたくないな」
 腕と足を反らし、大きく伸びをする。とてもではないが、あれだけ重要なことを言った直後の行動には見えない。
「水上! お前、もしかして知って――」
 水上の表情には、深い影が掛かっている。答は聞かなくても明らかだ。
「三村。その漆黒の電磁銃ガン、誰が造ったか知ってる?」
「水上、だろ? 電磁銃ガンの開発、研究はほとんどこいつが」
「それも間違いじゃないわね。たしかに、彼は電磁銃ガンを開発し、改良を続けてきた。でも、その電磁銃ガンだけは違う。もう一人のあたしが造ったのよ。図面を渡したら、ほんの数日で、今までのどの電磁銃ガンよりも強力なものを造っちゃって。まあその結果あたししか使いこなせなくなっちゃったんだけど。それであたしを殺して欲しいな。造られた命であるあたしの心臓は脆い。確実に死ねると思うから」
 立ち上がり、諒を真摯に見詰める。諒は、どうしていいのか分からず、水上を見遣るが、彼も又、同じ瞳で見詰め返すだけである。
「水上! 気が変わった! あなたは生きて。何だか、生きてた証みたいの欲しくなっちゃった。あなたが生きてれば少しは残る気がする。だから、死なないで」
「それがあなたの望みなら」
 抑揚無く、そう返答した。
「三村。お願い」
 ミューズは、きゅっと、その両目を閉じた。
「……」
 諒には分からなかった。
 何故、彼女が死ななければならないのであろう。
 何故、生きることが許されないのであろう。
 たしかに、彼女は相応の罪を犯したのかもしれない。
 だが、罪を犯させたのものは何なのであろう。
 少なくとも彼女自身ではないはずだ。
 それなのにこんな結末しかないのか。
 選択肢さえないのか。
 これが運命という奴なのか。
 全てが分からなかった。
「ミューズ、分かったよ。今日からお前は俺の中で生きろ」
 ミューズの頭を抱きかかえ、宥めるような声を出す。これが、自分を納得させるために発せられたものであることは理解していた。それでも、言わないよりはましに思えた。
「内圧1気圧アトム。帯電率最大限マキシマム
 彼女の左胸に銃口を押し当て、電気が溜まるのを待つ。パンッ。破裂音がした。ミューズはその場に膝を付き、崩れるようにして倒れこむ。その時、彼女が笑ったように見えた。諒は、頬を伝う雫を拭うことも無く、彼女の顔を見詰め続けた。

 これが、科学を狩る者サイエンス・ハンター三村諒、並びに神薙禊の、最後の事件となった。


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